レールを外れる勇気
こんにちは。ロックミーの小林宗織です。
電通で働く若い女性が、激務で過労の末に自ら命を絶ってしまったっていうニュース。
そのタイミングである大学教授が
「残業100時間で自殺なんて情けない」
みたいな発言をFacebookでしたらしく、時代錯誤もいいところだとネット上で叩かれまくりでした。(http://matome.naver.jp/odai/2147589075970863601)
個人的に、この教授のような価値観の人たちは自分世代から上にたくさんいるし、そういう価値観の人を否定しない。
理由を一言で言えば、自分はこの世代の先輩方のガムシャラをベースにした社会から恩恵をたくさん受けて生きてきたから。でもこれからの社会はこのガムシャラをベースにしちゃいかんと思うわけです。
事実として日本はこういうガムシャラの価値観を「常識」として何十年とドライブしてきた国。
(男が)寝る間を惜しんで働いて出世して、家庭を養って、ローンを背負って家を買って、車を買ってっていうのを国が推奨したわけですから。
国が作った壮大な歯車がうまく動いて、結果、国は奇跡の経済復興を遂げた。
その何十年の間に「仕事に身をささげて、出世できる人が価値が高い」という空気が生まれてしまったんだと思う。
残業なんて「俺今月残業200時間オーバーだぜ」とか自慢げに話す人もつい昔にはいっぱいいた。
見返りでマイホームを持ったり、高級な外車に乗ったり、海外旅行したり、ブランドを身に着けることでみんな満足した。
みんなその満足感が「幸せ」なんだろうと錯覚したり、自己暗示をかけたりしてたと思う。
それを「人生の成功」と定義して、したくもない暗記勉強をしまくってちょっとでも近道になりそうなハイブランドな大学を目指した。
やりたくないことでもストレスに耐えて、我慢してればなんとか手に入る時代。
我慢して、経済的に豊かになって、物欲などが満たされているうちはそれでよかったのだけど、バブルがはじけて、頑張っても頑張っても昔のような「目に見える幸せ」が得られなくなってくる。
そして、家も車もテレビもパソコンも携帯もみんながもう持ってる。自分だけが特別だという優越感が得られない。
そしてさらに、これ以上「欲しい」と思えるものがない。
国民みんなが経済に身をささげてやってきて、目に見える幸せはたくさん手に入れたけど、何か満たされない。
がむしゃらに働いていたのに、気が付くと家庭に自分の居場所がなくなっていたりする。
これまで信じた価値観が揺らぐ。
そうなってやっと「実は目に見えない幸せのほうが大切じゃね?」ってことに気付き始める。
これまで半世紀以上、日本を形作ってた価値観が大きく、シフトする時代。
「目に見える幸せのために働く時代」
から
「目に見えない幸せを重視して働く時代」に。
いま世の中にある会社のほとんどは、「目に見える幸せ」を最大化するために設計されている会社だと思うけど、センスのある会社は「目に見ない幸せ」をちゃんと視野に入れて、人事制度とか改革してる。
実際、ワークライフバランスとかいう横文字使う人たちはそれを啓蒙してるんだと思う。
「目に見える幸せ」を前提にガムシャラに生きてきた人だらけの会社に、「目に見えない幸せ」を重視する世代がどわーっと流れこんでくる。
だから当然、今は会社の現場で大きな摩擦がおきてくる。
「ストレスに耐える」ことで「目に見える幸せ」を手に入れた我々の世代からは、「ガツガツ感が足りない」とか「ストレスに弱い」とか若い世代がそんなふうに映る。
だからこういう教授のような人が出てくるのは必然と思う。彼の世代ではその価値観が正義なんだから。
この事件はそういう世代間摩擦を象徴したと思う。
前置きがすごい長いけど、ここからが言いたいことです。
女性が遺したといわれるツイッターをみて、個人的に想ったことを正直に言うと、
「彼女、本当に電通で働きたかったのかな・・・」
ということに尽きる。
彼女の遺したツイートは仕事や人間関係のストレスにまみれた言葉はあれど、仕事を楽しんだり、充実していた形跡がみれなかったことが一番悲しい。
電通といえば、あの「鬼十則(http://dokugaku.info/dentuu/001dentuu.htm)」の会社。
世の中的にいう「激務」を期待される環境であることすら知らなかったようにも見えてしまう。
いろんなミスマッチが同時多発している気がしてならない。
今の社会の仕組みでは「犯人は電通」となるんだろうし、労災認定されていたけど、命を絶つに至るにはツイートだけじゃ判断できないいろんな要因が複雑に絡んでいると思う。
ネットで電通や空気の読めない教授を叩いたところで、前向きな解決にならない。
似たようなことは日本中ですでにたくさん起きているだろうし、今後も起きるでしょ。
根が真面目で頭が良いうえに、相当の努力をしないと、東大や京大は入れないと聞く。
苦労して名門大学に入ったとしても、こういう国にとっての宝みたいな若者たちが、今の社会構造だと活躍しにくいんじゃないの?と思った。
「偏差値の高い大学を目指して、有名大企業企業に行くもの」
みたいなレール至上の社会と前時代的な価値観をそろそろちゃんと否定したほうがいいと思う。
これはみんなが「目に見える幸せ」を得るために生み出された仕組みだと思う。
そもそもで、学生にとっての「良い企業」かどうかを大学や社会が決めてるのが一番おかしいと思ってしまう。
「自分が何をしているときが幸せなのか」
「どんな事ならずっと勉強し続けても苦にならないか」
「社会に役立ってると感じられるものは何か」
就職活動やインターンシップはそれをみつけるためにあるべきでしょう。
それがうまくいって、良い会社とご縁があれば仕事も「目に見えない幸せ」の一部になりえると思うんだよ。
それを知らないでストレスにだけまみれる人生はちともったいない。
だから、若い人たちが「レールを外れる勇気」を持つことを歓迎する社会をつくっていかねばならんと思うんだよね。
自分なんぞにできることは少ないですが、これからちょっとずつ「レールを外れるための啓蒙活動」ができたらいいなと考えてます。
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