『小林くん、キミは偽善者だろう!』
時は今からだいぶ遡って、2001年。
ヘタレなITディレクターとして歩み始めたころのお話。
(※写真は2009年ごろです)
私は大学を出てコンテンツ開発をしている会社に入社しました。入社から半年もせず、「ココロ診断アートロジー」というサイトのディレクターに抜擢されます。
そのサイトは当時ブームになっていたNTTドコモのiモード向けに開発された携帯公式サイトです。利用者は毎月100円を払って、さまざまな心理テストで遊びながら自分の心理状態を知ったり、心理学者のコラムが読めたり、相談できたりするというもの。
先輩社員がたくさんいるなか、普通はど新人がサイトの担当ディレクターなどやらせてもらえないのだけど、このサイトに関してだけはいきなり私に白羽の矢が立ちました。
ちょっとした事情がありました。
(時効だから?笑)言ってしまえば、監修者の先生がとてもクセある人物だったのです。サイトの担当になるとしょっちゅうその監修者から電話がかかってきて、何時間も怒鳴られたり叱られたりする。
部署内の誰も担当ディレクターになりたがらなかったわけです(笑)。
ウソみたいですが本当のお話。
その監修者の名前は今井集士(あつし)さん。
絵画心理学の博士で、子どもに描かせた絵の配色や構図からその子の心理状態や家庭環境の問題などを分析し、親子ともにカウンセリングしていくということを日本で第一人者的にやってきた人物です。
米TIMES誌で「日本の20人」としてビートたけしなどと一緒に紹介されたこともある。
実績はとんでもない人物なのだけど、
天才と言われるような人はみなクセが強い。
今井さんにコラムを書いてもらうと、原稿は一般人ではわからない難しい言葉や言い回しのオンパレードで、先輩たちがわかりやすく原稿をリライトすることに多くの時間を割いて、四苦八苦していました。
そして修正した原稿をサイトにアップすると、じきに今井さんからの電話が鳴ります。
「俺の原稿を勝手になぐるな!」
だいたい、すでにヒートアップした状態です。
そして今井さんが落ち着いてこちらの話を聞いてくださる状態になってから、事情を少しずつ説明。
これに何時間も時間をとられ、担当者は電話を切るころにはグッタリしてしまうわけです。
ちょくちょくかかってくるエネルギー砲のようなこの電話を、受け流すスキルが担当ディレクターには求められました。
そんなサイトの担当、誰もやりたがるわけがない(笑)。
ある日、当時サイトを担当していた先輩ディレクターが別案件立ち上げのため、アートロジーを離れることに。
そして上司に休憩室へ呼び出され、打診されました。
「小林くん、アートロジーのディレクターをやってみないかい?」
ビビりな性格の私は顔には出さなかったものの
「ああ、配属3か月にしてもう試練か……」
と思いました。
でも同時に、こんな考えも頭をよぎります。
「待てよ……先輩たちが担当したがらない監修者とちゃんと仕事ができたら、みんなに認めてもらえるな……。将来どんな監修者も担当できるようになるよな……」
と、野心もあった若かりし私は、明らかに自分のこれまでのキャパを超えた仕事をこなすことによるメリットのほうにも思考がいってくれたわけです。
それから数日後、すぐに上司と旧担当と、今井さんに挨拶に向かいました。
今井さんは名古屋からさらに行った高蔵寺という駅で降りて、しばらくタクシーで行ったところの川の土手ぎわにアトリエを構えていました。
「会話で変な地雷踏んだらどうしよ……」
先輩たちの事前情報のせいもあり、初めての訪問は緊張でガチガチです。
今井さんのアトリエの玄関の扉を開けて上司たちを先になかへ誘導し、自分が入ろうとすると
「君が新人か」
とまだ靴も脱いでいない私に、髭もじゃの今井さんが話しかけてきました。
「ハイ! 小林と申します。以後、よろしくお願いいたします!」
と新人らしく深々と、精一杯フレッシュに頭を下げます。
そして初対面の挨拶としては人生史上最強にインパクトある言葉をいただくことになります。
「小林くん……、キミは偽善者だろう!」
「えっ……!?」
このとき自分はもちろん、上司も苦笑いをするのが精いっぱいで言葉が見つかりませんでした。ただ唖然。
地雷を警戒していたら、いきなり目の前から大砲を打たれた。そんな気分。
その後アトリエにあげてもらいました。
怪しい大きなマンダラが壁に飾ってあり、それをバックに数時間、エネルギッシュに心理学について語る今井さんに、上司たちと圧倒されました。
夕方。心身へとへと(笑)。
帰りの新幹線の時間が迫ってきたころ、上司が
「じゃあ今後、新担当の小林をよろしくお願いします」
と切り出して帰ろうとすると、今井さんが私に話しかけてきます。
「小林くん、君はいつも、仕事でも家でも、人の為、人の為と思って生きてるだろ」
「はぁ・・・」
とポーカーフェイスを装っていたのですが、内心はドキッとしていました。
実はズバリだったのです。
家族や友人にすらいちいち言葉で言いませんでしたが、自分は常に頭のなかで
「俺がこれを頑張れば嫁が楽をできる」
「俺がこのスキルを身につければ仲間を助けられる」
という感じで、常に「誰かの為」を仕事や私生活の活動のモチベーションの中核においていたんです。
人生の岐路で何か大切な決断をするときも、
「俺が海外の高校で学んだほうが将来家族の為になるな……」
というように、理由を作ってから前に進むタイプでした。
そしてそんな、誰かの為に生きる自分が好きで、カッコいいと思ってました。
恥ずかしながら、かなり酔っていました。(笑)
「なんでこの人、初対面で俺のことこんなにわかるんだ……。」
会話もろくにせず、私の本質をついてきた今井さんに驚きました。
そしてこう続きます。
「小林くん、キミな、人の為人の為って
生きてるやつは俺は仕事で信用しない。
人と為・・・・
くっつけると 『偽』になるだろ。
ニセモノなんだよ。
偽善者なんだよ。
プロデューサやディレクターとして
何かを決めて人に指示を出すべき立場の人間は、
全てにおいて
『俺はこう思う、これは俺の決断だ。』
と言い切れるようにならなければイカン!
「人の為」と言うヤツは、
何か失敗したときもそこを逃げ場にする。
誰かのせいにする。
そういうヤツは失敗した時に
「みんなの意見を聞いてみんなで決めたから」
とかいうのが相場だ。
そういうふうに責任逃れするヤツには
誰もついてこんし、出世もせんぞ!
自分以外の誰かが決めた、
自分以外の誰かの為に、
といいながらキミは
他人に決定を「依存」しているんだよ。
君が決めたことを、
君のためにやるんだ。
依存ではなく、『依頼』をするんだ。」
今でもこのことが脳裏にはっきりと焼き付いています。
が、実はその時はまだ、今井さんの言っていたことの本質は10%も理解できていませんでした。
それまでずっと
「人の為」
で生きてしまっていたので。
その後、今井さんのサイト『アートロジー』のリニューアルを提案して任せてもらい、運よく有料会員数が3倍以上に増えて仕事自体は成功を納めました。
すると不思議なことに、ヒートアップした電話はほとんどかかってこなくなりました。
頑固な私は、その後もなるべく「人の為に」スタンスを崩さずにディレクター仕事を続けました。
チームの誰かに何かをお願いするときは、「やっていただけませんか?」と常にヘコヘコと頭を下げて。相手が気分を害さないようにすることばかり考えて。
相手がやりたがらない仕事は、器用だったこともあってだいたい自分でやってしまいました。
もちろん朝も昼も夜もなく、土日もなく仕事することでカバーしました。
チームの為に自分が黙って犠牲になれば良いと思っていました。
ずっとそのスタンスで、アートロジー以外の実績も積み上げていきました。
でも、ディレクターとして成長して、任される仕事の責任や規模が大きくなるほど、「人の為に」スタンスだけではチームメイトたちが思うように指示を聞いてくれなくなっていくことが、だんだんとわかっていきます。
たとえばですが、あるサイトに載せる広告バナーの色を決めなければいけないとします。
チームのAさんに意見を聞くと「黒がおすすめだよ」と言います。
そしてBさんに聞くと真逆で「白が好き」と言います。
ディレクターの私が最終決定をしてデザイナーに指示を出すのですが、こういう場合、駆け出しのころの私は必ずこうしていました。
「じゃあAさんとBさんの
真ん中を取ってグレーにしよう」
それが(AさんとBさん両方を満足させる)最高の選択肢だと思っていたのです。
勘違いもいいところ。
本来満足させてなければいけないのはバナーを見る「お客さん」なのに、私は「AさんとBさんの為に」を優先したのです。
チーム内の人間関係がギクシャクしたり波が立つのを恐れまくって、さらに自分が悪者になるのをもっとも恐れて。
毎日顔を合わせるチームの人たちから嫌われたくなくて。
でもグレーのバナーを作った結果、お客さんも、AさんもBさんも誰も満足していません。
満足していたのは自分だけでした(笑)。
なんという偽善者だろうこいつは。
こういう仕事スタイルをとっていた自分は、ディレクターとして大切な判断をすればするほど、チームがどんどん自分を信じてくれなくなっていくことに気が付きませんでした。
本来ならば、ディレクターはAさんとBさんの意見はあくまで参考としつつ、
「このサイトの利用者はこういうテイストが好きだから、今回は白でいく」
と「自分で」決定して指示をださなければいけないのです。
あるマグロ漁船の船長がいたとして、
船員Aが「マグロは北にいる」
船員Bが「いや、マグロは東にいる」
と言ったとき、
「じゃあ真ん中をとって北東に行ってみるか」
なんていう指示を出すヘタレ船長、誰が信じますかね。
でも当時のわたしはまさにこのヘタレ船長。
行き先を北東にしておけば、マグロがゼロでも
「みんなで決めたから」
と言い訳できますし、
「AさんとBさんの為だから」
とか言って自分を納得させてそう。
結局、
「いや、西に行くぞ!」なんて言って、
マグロがゼロだったときに自分が責められるのをビビっているだけ。
そんなヘタレが船の舵を握ってはいけない。
ヘタレがサービスの方向性を決めてはいけないのです。
でも、このことにぼんやりと気が付きはじめたのは実は今井さんに「偽善者」と呼ばれてから3年後のこと。
上司や先輩たちが次々と新会社立ち上げていきます。
みんなが視界から一気にいなくなり、私が自分でゼロからサービスを立ち上げなければいけない環境が急に生まれました。
それも1つや2つではなく、たくさんの新規サービス立ち上げと運用を同時進行して。
それでも私は、嫌われることを恐れて、それまで自分が抱えていた仕事を他のメンバーに割り振ることすらできませんでした。
でも、プロジェクトにかかわるみんなに低姿勢にヘコヘコと頭を下げて、メッセンジャーボーイのように調整ばかりに明け暮れ、こぼれた仕事は全部自分が土日を削ってやっつけるというディレクションスタイルは、とにかく自分の時間を犠牲にして成り立っていたものです。
これが当然ながら破たんしました。
もう物理的に今のやり方では回らない。
人は足りないが、自分がやるしかない。
やらないとサービスが立ち上がらない。
ずっと頭のなかで、「キミは偽善者だ!」がグルグルとまわりました。
そうして、自分の中でひとつの覚悟ができました。
「もういい、嫌われてもやるしかない。俺のためになる判断だけをしよう。」
約束した納期スケジュールを守らず、何度も遅れるメンバーや取引先がいたとき、それまでは自分なら「その人の為に」と調整に回って頭を下げることで納期の帳尻を合わせていたのですが、
「約束したことはやってもらわないと困ります。できない理由ではなく、できる理由を考えてください。」
と面と向かって言うことにしました。
吹っ切れてから進めたプロジェクトから、後にヒットは大小3つ生まれました。
突然変わった私のディレクションスタイルに当然摩擦も起きました。
でも社内メンバーが「やれない(やりたくない)」といえばそれを言い訳に足を止めず、社外でやってくれる人を探しに行くようになりました。
そうして得た協力会社のみなさんは、Rock Me!の小林になっても、助けてくださります。
3年かかって、やっとディレクターとして一皮むけましたとさ。
というお話です。
船長が
「マグロは南に向かってるはずだ。Aさん、あなたが船を漕げば1週間で漁場にたどり着く、Bさんはその間に最高の仕掛けと餌を作っておいてくれ。この時期の南のマグロはうまいぞ!」
と言えるようになっただけのことです。
でも、不思議なことに。
こういうスタイルをとってからのほうが仕事の結果に対して自分が納得しまくっていますし、何より背中を預けて一緒に仕事できる仲間が増えたのです。
新卒のわたしには、心理学博士の今井さんはハチャメチャな人物に映りましたが、最初に彼に出会わなければいまだに「へたれディレクター」をやっていたかもしれません。
そして今なら、今井さんがなぜいつも怒って電話してきていたのかがわかります。担当者の誰もが今井さんのほうばかり気にして、肝心の利用者目線で今井さんとぶつかっていくような人がいなかったからでしょう。受け流すことばかり考えて。
「キミは偽善者だろう!」
このたった一言です。
ちょっとした言葉が、その人の人生の方向を大きく変えていくことがあることを知りました。
不思議なもので、人間って生きてると必要なときに必要な人や言葉に巡り合うようにできている気がします。
数年前にお会いしたとき今井さんは昔と較べてだいぶ優しくなっていらっしゃいましたが、今も彼の理論を普及させるために元気に活動されているそうです。
彼の理論そのものは難しすぎて私にはいまだに理解できていませんけど(笑)。
Rock Me! 小林宗織
※旧ブログに2015年2月1日に掲載した記事を再掲載しました。
■参考リンク
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